はじめに
作曲者自己紹介
Mae govannen, mellyn! このたびは、「束好きの束好きによる束好きのための展示販売会」、通称「束展」まで足をお運びいただき、ありがとうございます。今回の束展で、オーケストラ音楽作品である交響詩「ベレンとルーシエン」を出展した中野智宏と申します。私は大学院生で、日頃は「人工世界」という、歴史・地理・言語などの細かい設定を持った架空世界を創作しています。人工世界の制作は小学5年生のときから行っているもので、私がもっとも尊敬する作家であるJ.R.R.トールキンからも多大に影響を受けています。現在、私の人工世界である「フィラクスナーレ」を題材とした映画の3部作を制作しており、監督・脚本・演出・撮影・出演・編集・VFX・音楽などを担当しています。またその一方で、これまで十数年間にわたって私に影響を与え続けてきたトールキンの作品に着想を得た音楽作品の制作も行っています。
これまで私の活動は、毎日新聞、週刊現代、プレジデントファミリーなどの新聞・雑誌で取り上げられてきました。また、最近ではテレビ朝日「タモリ倶楽部」に出演して、自作の架空言語「アルティジハーク語」などについて説明するなどしています。活動の詳細については、この解説の一番最後のページに情報をまとめてありますので、トールキン関連の活動以外にもご興味のある方はご覧いただければ幸いです。
制作のきっかけと「束展」出展までの経緯
2020年冬、私はツイッター(@TormisNarno_JPN)上で、初めてトールキンの作品をベースにして作曲した作品である交響詩「アイヌリンダレ」の冒頭を公開しました。その際、以前から相互フォローだった主催のみーりえるさまより出展へのお誘いをいただき、当初は「アイヌリンダレ」を出展するということで参加させていただきました。その後、2021年に入り、「アイヌリンダレ」を満足な形で会期までに仕上げることが難しいと感じ、テーマを「ベレンとルーシエン」に変更することになりました。
交響詩「ベレンとルーシエン」を最大限にお楽しみいただくために
交響詩「ベレンとルーシエン」は、J.R.R.トールキン作/クリストファー・トールキン編『シルマリルの物語』に収録されている版のベレンとルーシエンの物語に音楽をつけた作品です。この曲を作るにあたって、私はオペラや映画音楽の分野で盛んに用いられるライトモティーフ技法を用いて、各キャラクター・種族・状況・感情などに主題(テーマ)や動機(モティーフ)、時には特定の楽器を割り当てて、この物語を描写しました。この解説書を書いたのは、音楽の中で各要素がどのように組み合わさり、何を描写しているのかについて、解説なしでは分かりにくい部分を説明するためです。今回の「束展」の会場では全部の曲を通しで聴くことは難しいかもしれませんが、私が作曲時に込めた意図を限られた時間のなかで伝えられればと思います。
全体にかかわる諸情報
編成
- ピッコロ 1
- フルート 2
- アルトフルート 1(フルートから持ち替え)
- オーボエ 2
- イングリッシュホルン 1
- B♭クラリネット 2
- バスクラリネット 1
- ファゴット 2
- コントラファゴット 1
- ホルン 4
- トランペット 3
- トロンボーン 3
- テューバ 1
- ピアノ (チェレスタから持ち替え)
- チェレスタ
- ハープ
- ティンパニ
- アンヴィル
- シンバル
- 第1ヴァイオリン 16
- 第2ヴァイオリン 14
- ヴィオラ 12
- チェロ 10
- コントラバス 8
ライトモティーフのリスト(概ね登場順)
- ベレンのテーマ
- ルーシエンのテーマA・B・C
- ティヌーヴィエルのモティーフ
- 眠りのモティーフ
- シンゴルのテーマ
- エル=イルーヴァタールのモティーフ
- フィンロドのテーマ
- バラヒアの指輪のモティーフ
- サウロンのモティーフA・B
- メルコール/モルゴスのテーマ
- ルーシエンの悲しみのテーマ
- フアンのテーマ
- クルフィンとケレゴルムのテーマ
- 狼のモティーフ
- 欲望のテーマ
- アルダのテーマ
楽器の割り当て
- ベレン:オーボエ、イングリッシュホルン
- ルーシエン:フルート、ハープ、チェレスタ
- シンゴル:アルトフルート
- フィンロド:ハープ、チェレスタ
- フアン:トランペット
- クルフィンとケレゴルム:ハープ、ソロヴァイオリン
- オーク:ピアノ、弦楽器(コル・レーニョ)
- カルハロス、ドラウグルイン、その他狼:トランペット(ミュート)
- サウロン:ピアノ、コントラファゴット、アンヴィル
- モルゴス:コントラファゴット、弦楽器
- エル=イルーヴァタール:ソロコントラバス
旋法の割り当て
- エルウェ家:ドーリア旋法
- オルウェ家:ミクソリディア旋法
- フィンウェとインディスの血筋:フリギア旋法
- フィンウェとミーリエルの血筋:ロクリア旋法
- フィンロド・フェラグンド:C-D♭-E♭-F-G-A-B♭-C(フリギア旋法+ミクソリディア旋法)
フェアノールの息子らに対する音の割り当て(B-ロクリア旋法において)
- マイズロス A音
- マグロール G音
- ケレゴルム F音
- カランシア E音
- クルフィン D音
- アムロド C音
- アムラス B音
その他音楽的要素の割り当て
- エル=イルーヴァタール:C音
- メルコール/モルゴス:F#音(Cに対するトライトーン)
- 善:完全五度(Cに対するG)
- 悪:トライトーン(Cに対するF#)
1. ベレンとルーシエンの出会い The Meeting of Beren and Lúthien
導入部
ベレンとルーシエンの出会いの場となったネル ドレスの森の情景がC#メジャーで描き出されます。弦楽器の静かなトレモロの上に、オーボエとホルンのゆったりしたメロディが奏でられます。拍子が6/8になり、ベレンのテーマの断片(譜例1-1)が現れてきます。
ベレンのテーマ
Dマイナーに転調し、6/8拍子のベレンのテーマ(譜例1-2)が完全な形で演奏されます。メロディは主にベレンを表す楽器であるオーボエとイングリッシュホル ンが担い、その他の木管楽器と金管楽器、ティンパニなどが伴奏します。
ルーシエンとベレンの出会い
ルーシエンの気配がフルートで示されます。ベレンは魔法にかかって何も言えなくなり、しばらく森をさまよってルーシエンを探し歩きます。
ルーシエンはあるとき突然歌い始めますが、このことがフルートのルーシエンのテーマBの断片(譜例1-3)によって示されます。
眠りに落ちるベレン
ルーシエンの歌を聴いて魔法が解けると、ベレンはルーシエンのことを「ティヌーヴィエル! ティヌーヴィエル!」と叫びます。G-G-E♭-C D-A-F-E♭の8音からなるティヌーヴィエルのモティーフ(譜例1-4)が現れます。
続いて、夜明けとともにルーシエンが去っていったあと、深い眠りに落ちるベレンが描写されます。眠りのモティーフ(譜例1-5)がオーボエで現れたあと、ベレンのテーマがCマイナーでゆっくりと静かに演奏されます(譜例1-6)。
ルーシエンのテーマ
ルーシエンのテーマは、グレゴリオ聖歌に由来する教会旋法のうち、ドーリア旋法で書かれており、ここではCを終音(フィナリス)とします。これは、エルウェ家全体をドーリア旋法が表すためです。ルーシエンに割り当てられた楽器であるフルート・チェレスタ・ハープが主体となり、並行五度の和声を伴って、ルーシエンのテーマの中核となるモチーフを演奏します(ルーシエンA、譜例1-7)。
続いて、フルートが順次上がっていくモチーフ(ルーシエンB、譜例1-8)を奏でます。
ベレンとルーシエンの愛のテーマ
ルーシエンのテーマを発展させた経過部を経て、ベレンのテーマとルーシエンのテーマBがイングリッシュホルンとフルートによって重なって演奏されます。
その後B♭メジャーのまま3/4拍子になり、弦楽器と木管楽器の合奏でベレンとルーシエンの間の愛情が深まっていく様子が描写され、終結部ではベレンのテーマをフルートが、ルーシエンのテーマBをオーボエが演奏することでふたりの心が通い合っていることを表現します。
2. シンゴルの玉座の前で Before Thingol’s Throne
シンゴルの怒り
最初にシンゴルのベレンに対する怒りが金管楽器の合奏で示され、続いてアルトフルートがシンゴルのテーマ(譜例2-1)を演奏します。シンゴルのテーマは、ルーシエンと同じくドーリア旋法で書かれていますが、終音はEです。その後、オーボエとアルトフルートの掛け合いがあり、シンゴルがベレンと会話している場面を表します。
シルマリルのテーマ
シンゴル王が、ルーシエンと結婚する条件として、ベレンにシルマリルを持ってくるように言う部分です。シルマリルのテーマ(譜例2-2)は、教会旋法のひとつであるロクリア旋法で書かれており、Bを終音とします。これは、シルマリルの作り手であるフェアノールのテーマ(ここでは直接使われていません)がB-ロクリア旋法で書かれているからです。
シンゴルの条件を承諾するベレン
Eマイナー・オーボエソロでベレンのテーマが現れ、シンゴルの条件を聞いて決断を迫られるベレンを描きます。ほどなくして、同主調であるEメジャーに転調し、低音がエル=イルーヴァタールのモティーフ(譜例2-3)を奏でます。これは、ベレンのこの決断がアルダやシルマリルの命運の観点から言って重要なものであったことから、この重要な出来事に際して少なからずエル=イルーヴァタールの意志が働いたのではないかという作曲者の解釈によります。
ルーシエンの悲しみ
シンゴルの示した厳しい条件を聞き、悲しみにくれるルーシエンを表す短い部分です。ルーシエンのテーマの断片がフルートで演奏されます。
3. ベレンとフィンロド・フェラグンドの旅路 The Journey of Beren and Finrod Felagund
ベレンの出発
ベレンのテーマが速い6/8拍子、Gマイナーで演奏され、シルマリル探求の旅に出るベレンの決意を表します。
フィンロド・フェラグンドのテーマ
フィンロドのテーマ(譜例3-1)は、G-A♭-B♭-C-D-E-F-G からなる旋法で書かれており、これはフィンウェとインディスの血筋を表すフリギア旋法と、オルウェ家を表すミクソリディア旋法を組 み合わせたものです。最初にチェレスタとハープでGを終音として呈示された主題がバスーン、フルートによって繰り返され、オーボエによって発展させられます。次に、同じメロディーが、今度はCを終音として弦楽器・ホルン・トロンボーンなどによって演奏されます。
ここで一瞬だけ登場するのがバラヒアの指輪のモティーフ(譜例3-2)で、F-G-AとC-D-Eを同時に演奏する完全五度の平行進行です。
オークの一団を破り、変装するふたり
オークを表す不協和音の連打が現れ、ベレンとフィンロドがたまたま遭遇したオークの一団を表します(譜例3-3)。ほどなくしてDマイナーでベレンとフィンロドのテーマが割り込んできて、オークを仕留めるふたりを表現します。
続いて、倒したオークの装備と魔法を使って変装して旅を続けるふたりを、トライトーンの平行進行のベレンとフィンロドのテーマの組み合わせが表現します。
サウロン
注意深く道を見張るサウロンを表す部分です。11/8拍子で、トライトーンと短二度音程による上昇音形の繰り返しからなるサウロンのモティーフA(譜例3-4)が示されます。
サウロン対フィンロド
『シルマリルの物語』では、サウロンとフィンロドの戦いは詩を用いて簡潔かつドラマティックに記述されていますが、その感じを表現するために、この部分は短くまとめました。サウロンとフィンロドのテーマが交互に現れて力が拮抗している様子を示すほか、本作「ベレンとルーシエン」では登場回数の少ないアルダのテーマ(譜例3-5)やモルゴスのテーマ(譜例3-6)も随所に入っています。
4. ルーシエンのヒーリロルンからの逃走 Lúthien’s Escape from Hírilorn
ルーシエンの哀歌
Eメジャーの悲しげな旋律(譜例4-1)が、ヒーリロルンに閉じ込められたルーシエンを描写します。最初はソロフルート、次にソロホルンが旋律を取り、Aメジャーに転調してからはオーボエと弦楽器がメロディーを繰り返します。
ヒーリロルンから降りるルーシエン
この部分は主にルーシエンのテーマAの変奏からなります。F#マイナーに転調し、フルートソロがテーマAの変奏を弦楽器のピッツィカートに乗せて演奏します。続いて、同じメロディがBマイナーで楽器を増やして繰り返されます。その後、一曲目に 登場した眠りのモティーフが現れ、ルーシエンが衛兵を眠らせて脱走する様子が描かれます。
クルフィンとケレゴルム
クルフィンとケレゴルムのテーマ(譜例4-2)は、フェアノールやシルマリルのテーマと同じくB-ロクリア旋法で書かれていますが、ここでは伴奏にDを多用していることと、メロディーをDで終えていることからDマイナーの気配もあります。
助けを求めるルーシエン
再びルーシエンのテーマが現れ、ケレゴルムとクルフィンに対して姿を現し、助けを求めるルーシエンを表現します。
クルフィンとケレゴルムの策略
ルーシエンの美しい姿を見たケレゴルムがルーシエンに心を奪われる様子が、ソロヴァイオリンの高音のメロディーで示されます(譜例4-3)。クルフィンとケレゴルムのテーマが再度現れますが、今回はいくつかの音の音高が少し変わっていて不穏な雰囲気になっています。不穏さは徐々にエスカレートしていき、ルーシエンを裏切って閉じ込める様子を示します。次の部分に移る前に、ルーシエンの悲しみのテーマの一部がフルートで演奏されます。
ルーシエンを助けるフアン
ルーシエンを見て不憫に思ったフアンが、ルーシエンを助けることを決める場面です。フアンのテーマの前半にあたる5度の音程を行ったり来たりするメロディー(譜例4-4)が金管楽器の間を受け渡されて演奏されます。
トル=イン=ガウアホス Tol-in-Gaurhoth
捕らえられたベレン一行
サウロンのモティーフB(譜例5-1)が低音で演奏され、サウロンの手中にあるベレンとフィンロド一行が描写されます。
終始不穏な雰囲気のなか、突如高音でG#-G#-A-Aの4音が繰り返し演奏されます。これは狼のモティーフ(譜例5-2)で、ベレンの味方が一人ずつ狼に殺されていく状況を表します。
フィンロドの死
フィンロドのテーマがチェレスタとハープで弱々しく演奏され、場面が切り替わります。ここで登場する死のテーマ(譜例5-3)は、グレゴリオ聖歌の死者のためのミサ(レクイエム)の「怒りの日」の旋律に由来しています。「怒りの日」を引用して死を表現する手法は、『ライオン・キング』『スター・ウォーズ エピソード4:新たなる希望』『スウィーニー・トッド』『シャイニング』など様々な映画やミュージカルの音楽で採用されているものです。本作の死のテーマは、この元の主題を単純化して3/4拍子にしたものになっています。
救助に向かうフアンとルーシエン
突然フアンのテーマが金管楽器とティンパニの強奏で示され、トル=イン=ガウアホスまで救助に向かうフアンとルーシエンの姿が描写されます。ベレンのテーマが引き伸ばされた形で演奏され、ルーシエンの歌声を聴いて弱々しく応答するベレンが描写されます。さらにルーシエンのテーマが発展させられ、転調しつつ盛り上がります。
ここでサウロンがルーシエンとフアンを迎え討つべく狼を放ち、狼のモティーフがより完全な形で現れます。しかしフアンは狼たちを次々に討ち取っていき、サウロンは対抗してドラウグルインに出撃させます。この曲は途中までしかできておらず、今後完成予定です。
おまけ:「トゥーリン・トゥランバール」スケッチ Sketch of ‘Túrin Turambar’
今後作曲を検討している「ナルン・イ・ヒーン・フーリン」の一曲目となる「トゥーリン・トゥランバール」のピアノスケッチです。
おわりに
交響詩「ベレンとルーシエン」とそれ以外の音楽作品の今後について
言うまでもなく、今回の「ベレンとルーシエン」は完成していません。何より、モルゴスからのシルマリルの奪還、カルハロスとの戦い、ベレンとルーシエンの死と蘇生など後半の重要な場面の曲が書けていませんし、ベレンがフィンロドに助けを求めに行くところでクルフィンとケレゴルムが割り込んでくる部分の描写が足りていないなど、今回出した部分で納得のいっていない部分もあります。これについては今後も(どれくらいかかるかわかりませんが)満足できるまで加筆・修正を加えていければと思っています。
また、当初「束展」で出展予定だった「アイヌリンダレ」についても、今後時間をかけて作り進めていきたいと思っています。さらに、「ナルン・イ・ヒーン・フーリン」などトールキンの他の作品にも曲がつけられたらと考えています。今後の進捗は、次ページにあるDiscordやSNS等でご覧いただければと思います。
カンパのお願い・コミュニティサイトのご案内
今回、作品が完成していないこともあって、他の参加者の方とは異なり、「束展」への出品作品を購入可能な形にできていません。もし私の今回の作品を気に入っていただき、今後も応援したいと思っていただけた場合は、ぜひPatreon、noteなどのウェブサイトでご支援をお願いいたします。Patreonやnote(次ページ)では、月1ドル(USD)からの支援額に応じ、制作の舞台裏や他の場所で公開していない作品などの限定コンテンツを配信しています。2018年に公開された私の初監督作品『世界のあいだ』も月5ドルからの支援で自由にご覧いただけます。月額制での支援は難しいという方は、ぜひ私のホームページ(次ページ)のグッズのページをご覧ください。
無料で参加できるコミュニティとしては、Residents of FirraksnarreというDiscordサーバー(次ページ)があります。このサーバーは主に私の人工世界の活動などについて最新情報を配信することや、ファン同士の交流などのために設けたものですが、トールキン関係のチャンネルも作ってあり、ここに今後「ベレンとルーシエン」や、今回発表できなかった「アイヌリンダレ」に関する情報も流れる予定です。誰でも無料で参加できますので、お気軽にのぞいてみてください。そのほか、Twitterや個人ホームページ等でも進捗報告をする予定ですので、こちらもフォロー等をよろしくお願いいたします。